Saturday, May 18, 2024

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Some New CHIC Songs


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Category: -惑星Cを行く[C: cancer、癌]-

A Magical Night

January 25, 2013


僕は肉体的にはローマに居る、でも精神的にはすっかりガーラ・モードだ

僕はいま、CHICの女の子達(ヴォーカル二人)と一緒にローマに居る。RAIのTVショウの為にね。でも、もうばれているかも知れないけれど、僕はガーラ・コンサート・モードに入っているんだ。

僕の基金、We Are Family Foundation は記念のガーラ・コンサートを毎年行い、世のためになる素晴らしい事をした特別な人々を称えているんだ。これまでに我々はクインシー・ジョーンズ、マイア・アンジェロウ博士(作家、詩人、女優他)、ポール・サイモン、エルトン・ジョン卿ほか、多くの人を称えてきた。

今年は、ジェニ・ステパネク博士(作家、以前よりWAFFの主要メンバーとしても活動)、ダニエル・H.スターン(NYの投資管理会社、リザヴォワ・キャピタル・グループの共同CEO)とアダム・ランバートを称えることに、我々はとても興奮しているんだ。授賞式の後には僕のバンドCHICとアダム、そしてとても特別なゲスト達によるコンサートもあるんだ、素晴らしい夜になるよ。

おそらく、アダム・ランバートとやった僕の仕事の最もクールなところは、まさにみんなの目の前で生まれたという事だね。アダムとサム・スパロウが曲を作っていたのは去年の初頭で、彼等はその曲に僕のギターが加わったらどんなにクールだろうとトウィートしたんだ。それを数人のファンがリトウィートし、僕等三人はどうすればそれを実現できるかを話し合い、それを実現させたんだ。

二週間前、WAFFと僕はアダム・ランバートへの授賞と彼との(授賞式での)共演をアナウンスした。そしていま、サム・スパロウの出演を確認中で、そして、そう・・・まず間違いなく我々三人はライヴで「シェイディ」を共演するよ、初めての事だ。

毎回、このコンサートはかなりユニークなイヴェントに既になっているけれど、今回はましてそうだね。今回のガーラが、一時は中止となったイヴェント(ハリケーン・サンディの影響)から、最高に記憶に残る経験となる事が約束されたものへと進化した事に関して、僕は心からの感謝の気持ちで一杯なんだ。

ガーラに参加してくれるみんな、僕等はマジカルな夜(A Magical Night)を過ごすんだ!

 


グラミー候補になったシンガー/ソングライターでプロデューサー、スタイルもばっちりのサム・スパロウ


サムから僕に宛てての、後に「シェイディ」となる曲の共作についての最初のトウィート(訳註:ナイル・ロジャーズの記述と違い、この呟きの日付けは更に数ヶ月前)




 


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The Last Year of My Life

January 21, 2013


2012年はまるで激しく昇降を繰り返すジェット・コースターに乗っているようだった

2012年はまるでジェット・コースターに乗っているみたいだったよ - 上がっては下り、ひねっては曲がり、とね。僕はショウビジネスの世界に自分を置いてはいるとはいっても、作曲家でいるのが主だから半ば孤独といえる生活を送っているけれど、ギターを弾いたり外へ出たり(人前へ出たり)するのが大好きなんだ。

僕はブログ一回分では足りない程の数のAリスト(トップクラス)のアーティストからなる様々なグループと録音、作曲、レコード作りそしてライヴ活動を共にしてきた。

2012年で最も驚くべき出会いの一つはラッセル・ピーターズとのものだったね。実際に会うずっと前から、僕は彼の優れたコメディを楽しんできていたけれど、彼がこんなにも音楽にどっぷりだったとは知らなかったんだ。

僕の強固な人間関係の多くは音楽愛をシェアする事から生まれている。僕がデイヴィッド・ボウイーと初めて出会った夜、僕等は音楽について語りまくった - 売れ線からアヴァンギャルドに至るまでね。その出会いは僕等の人生を大きく変えたんだ。

ラッセルと僕が、彼のバークリーズ・センターでのショウの際に出会った時、勿論彼は僕を笑わせまくってくれたけれど、同じレヴェルで彼が音楽についても深く語れる事に僕は心底仰天させられたんだ。

僕の例年行っている We Are Family Foundation のチャリティ・ガーラ・コンサートが1月31日に(延期して)行われる。そこでラッセルは主要な役割を果たしてくれるんだ。彼は僕にもうバッチリといえる音楽のアイディアをくれていて、ヒップ・ホップの伝説的存在グランドマスター・メリ・メルと我々とを繋いでくれたんだ。

ハリケーン・サンディのせいで延期したガーラで、ラッセルはジョークを飛ばし、DJ、司会進行をしてくれる予定だ。そしてこの2013年最初の月の最終日の夜の行方は誰にもわからない。"2012年はまるでジェット・コースターに乗っているみたい" でもそれが僕の人生の直近の一年(The Last Year of My Life)だったんだよ(訳註:この一年を形容するのに最適な言葉という意味)。

 


微笑んでいるけれど、僕はこの日、辛い健康診断を受けた - 2012年はジェット・コースターに乗っているみたいだった


去年、僕はWAFFの2012年ユニティ・アウォード受賞者アダム・ランバートや何人ものAリストに載るアーティストと仕事をした


『レッツ・ダンス』は僕とデイヴィッド・ボウイーの初めての出会いの結果、生まれた


僕、GZA(ウータン・クラン)、DJク―ル・ハーク(ヒップ・ホップ最初期の名DJ)、メリ・メルそしてラッセル・ピーターズ、僕がラッセルと初めて会った舞台裏で


ラッセルは We Are Family Foundation ガーラの主要な役割を果たす予定


ハリケーン・サンディは我々の活動を停止させ会場を停電させた

 


VIDEO: WAFF Gala 2011 Rehearsals with GZA & Q-TIP - "Good Times" WAFF2011ガーラのリハーサル風景、GZA とQ-ティップと共に

 


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American Idols!

January 18, 2013


ユニティ・アウォード受賞者アダム・ランバート - 僕のバンドCHICと僕は彼と(彼の曲で僕が参加した)「シェイディ」他を演奏する予定

今朝起きた時、僕は「今日このあとがどうなるかなんてわからないから、この瞬間を大事にしないと」という強い思いに急に駆られたんだ。僕は外を散歩して海の香りを嗅ぎ、僕の典型的な忙しい一日を始めた:E-メイルに返事 - フェンダー・ギター、アーヴィン・ウェルシュ(「トレインスポッティング」で知られる作家)、アヴィーチー(スウェーデンのDJ、ミュージシャン)、グラミー賞(の団体、僕のレ―ベルSumthin' Elseからの曲はヴィディオ・ゲイム音楽として初めてノミネイトされた)、アニータ・ベイカー、シミラン・モーバイル・ディスコ(英国のテクノ・デュオ)、それからこの地球上で最もファニーな奴の一人であるラッセル・ピーターズ(カナダのコメディアン)に。続いて処方薬を服用 - みんなのうち何人かは、僕が癌の闘病中である事を知らないかな -、そして僕は(やっと)朝食にありついたという訳だ。

「命があって当たり前とは思っていない」と僕が言う時、それは決して誇張している訳ではないんだ。僕には死が(繰り返し)襲いかかってきている。まるでリチャード・プライアーがいう「火がジム・ブラウンから逃げだす」みたいにね。(訳註:プライアーはコメディ界の、ブラウンはアメリカン・フットボール界[のち俳優]のそれぞれ大物。プライアー自身の火傷事件と、かつて親友だったジム・ブラウンとの決別を掛け合わせた「火さえも(余りに無敵な)ジム・ブラウンを怖がる」という意味のジョークからの引用)

僕は毎日この人生を祝福しているけれど、今日は特に祝福するに値する正当な理由があったんだ。僕のチャリティ団体 We Are Family Foundation が、僕等が開催する次のガーラ・コンサートに出演する多くのアーティストをアナウンスしたんだよ。今年のガーラ(年を越した)は障害が多くて大変だったよ - ハリケーン・サンディ、その影響での会場の変更、(出演してもらいたかった)親友達の思いがけない死去といったね。

僕等のやり方は以下の通り:我々は用意できる事はどんなものでも提供するよう心掛ける。やれるものごとを挙げていくうちに、僕は自分達の最も素晴らしい資産は「人材(仲間)」だという事に気付いたんだ。彼等は与えてくれるんだ、そこまでしなくても良いというのに。僕はいつも驚かされ通しだよ。そんな素晴らしい面々として今年顔を出す面々の何人かを紹介すると、僕等が授与するユニティ・アウォード受賞者であるアダム・ランバート(高視聴率のTV番組「アメリカン・アイドル」で世界的に盛り上がった人物)、テイラー・デイン、キャシー・スレッジ(オリジナルの「ウィー・アー・ファミリー」のあの声の持ち主)、グランドマスター・メリ・メル、アニータ・ベイカー、CHIC、そして凄いコメディアンで司会者、ターンテイブリスト(レコード回しの達人)ラッセル・ピーターズ。十一年経っても更に驚くべきショウを行う事を保証するよ。

素晴らしい僕の仲間、つまり我々ほど恵まれていない持たざるもののために、世界を少しでも良くしようと手を差しのべようとする僕等(WAFF)の任務を献身的に手伝ってくれるみんなは、僕にとってのアメリカン・アイドル(Amrican Idols)なのさ!(あ、ラッセルはカナディアンだけどね)

 


フェンダー・ギターのアーティスツ・シグネイチャー・モデルのリストに僕の名前も間も無く加わる


1番 フェンダー・ストラトキャスター "ヒットメイカー" 59年 シリアル・ナンバー59019


司会のトウレー(作家、ジャーナリスト)とロウジー・ペレス(女優、ダンサー)


ラッセル・ピーターズは最高にファニーで熱狂的な音楽好き、最高のDJでもある


「火がジム・ブラウンから逃げ出す」の名言を残したリチャード・プライアー


We Are Family Foundation Schoolの一つを建設している時のひとこま - 我々の最高の資産は人材(仲間)だ


僕、本当に素晴らしい人物アダム・ランバートの曲「シェイディ」でギターを弾いているところ


別格の女性テイラー・デインと僕、モントルー・ジャズのCEOである故クロウド・ノブズの別荘にて


ヒップ・ホップのパイオニア、グランドマスター・メリ・メル


『ウィー・アー・ファミリー(華麗な妖精たち)』- 僕はこれが(自分が手掛けた)最高のアルバムだと思う


僕等を献身的に手伝ってくれる仲間 - 2011年TEDxティーンのホスト、トウレー - このプログラムは二百万以上のヴュー(インタネットでの閲覧)をされている


僕とアニータ・ベイカー、CHICと共に2011年11月のWAFFガーラにて


前回のガーラのフィナーレ「ウィー・アー・ファミリー」

 


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The Last Supper

January 14, 2013


モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのCEO、クロウド・ノブズは僕に、フェス内のいち行事を担当させてくれた

僕が言葉に詰まる事なんて滅多に無いけれど、良い友人だったクロウド・ノブズが亡くなったという報せを耳にしてから、僕はずっとショックを隠せないままだ(訳註:本稿の掲載は彼が亡くなった四日後)。彼は世界で最も偉大な興行主の一人だった。去年、彼は僕に、彼のフェス、あの伝説的なモントルー・ジャズ・フェスティヴァル内のいち行事を担当させてくれた。それは僕の人生の中で最も素晴らしい夜の一つとなったよ。

僕はCHICがアトランティック・レコーズと契約した翌年である1978年からクロウドを知っている。彼は僕等の最初の欧州トゥアーのマニジャーだったんだ。僕が一つ言える事は、彼が我々と共にこの世に存在してくれたおかげで、この世界は本当によりよい場所である、という事だ。そんな彼の存在が惜しまれるよ。

ミュージシャンが仲間を失った際、彼等に感謝し祝うベストの方法は、彼等へ音楽を捧げる事だと思う。次回のWe Are Family Foundationのガーラ・コンサートで、僕等は僕等なりのやり方で彼にさよならを言おう。彼はチャリティの大きなサポーターだったから、彼無しでは今の形にならなかっただろうね。

僕は数えきれないほどクロウドとショウをやってきた。彼はダンス音楽での僕のテイストに敬意を払ってくれていた。そして僕等は今年も、モントルーでの新たなビッグな夜のプランを立てていたんだ。数週間前、僕は彼や音楽界の重鎮達と夕食を共にした。僕は彼等全員と今でも話をしているよ。その素晴らしい晩、今となっては僕等が最後の晩餐(The Last Supper)とみなしているあの晩からあとにね。

 


VIDEO: Freakout! Montreux - ナイル・ロジャーズ共催によるイヴェント

 


去年、彼は僕に、彼のフェス、あの伝説的なモントルー・ジャズ・フェスティヴァル内のいち行事を担当させてくれた


1978年 -僕がクロウド・ノブズと初めて会った年- の初期CHIC


ディオンヌ・ワーウィック、僕、クロウド・ノブズそしてジャクスン・ブラウン、去年のガーラ・コンサートのレッド・カーペット上で


去年のガーラのフィナーレ - よく探すとクロウドが見えると思う


音楽界の重鎮、トミー・リプーマ、クロウド・ノブズ、ジョージ・ウェイン、セイモア・スタインそしてトム・シルヴァーマンとの夕食後の僕(訳註:順にブルー・サム・レコーズ、モントルー・ジャズ・フェス、ニューポート・ジャズ・フェス、サイア・レコーズ、トミー・ボーイ・レコーズの各創始者達)

 


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FreakOut! Let's Dance

January 8, 2013


親しい友人でモントルー・ジャズのCEOであるクロウド・ノブズはこの二週間昏睡状態にある

僕の親しい友人でありモントルー・ジャズ・フェスティヴァルのCEOであるクロウド・ノブズが、スキーでの事故が原因でこの二週間昏睡状態なんだ。僕は彼をとても愛している。快復を祈っている。彼が僕に対して示してくれるのは敬意以外の何ものでもない。

CHICが欧州で最初に演奏をした時、この伝説的なモントルー・ジャズ・フェスのCEOは僕等のトゥアー・マニジャーだったんだ。彼は僕が思い出せるだけの昔からずっと、世界の音楽シーンにずっとインパクトを与え続けている。ディープ・パープル '72年の代名詞的なクラシック・ヒット「スモーク・オン・ザ・ウォーター」はモントルー・ジャズ・フェスの会場を全焼させた火事の事を歌っていて、みんなをその火から救い出した「ファンキー・クロウド」も歌詞に出てくるよ。

デイヴィッド・ボウイーと僕が、彼最大の売り上げを記録する事になる『レッツ・ダンス』の最初のデモを作った時、僕等は地元のミュージシャンを手配してくれたクロウドに電話をしたんだ。僕はスイスのローザンヌにあるデイヴィッドの山荘(別荘)の僕が寝室にしていた部屋でアレインジ譜を書き、僕等はモントルーのクイーンズ・マウンテン・スタジオで録音をした。デイヴィッドがギターの名人スティーヴィー・レイ・ヴォーンを初めて観たのもモントルー・ジャズ・フェスだったんだよ(※)。クロウドはいつもミュージシャンの友達でいてくれる - 新人なのか何年もやっているヴェテランなのかなんていうのには関係無くね。彼は君(ミュージシャン)の音楽的なヴィジョン達成を手伝う側(の一部)になるのが大好きなんだ。 (訳註:スティーヴィー・レイは『レッツ・ダンス』にリード・ギターリストとして参加)

数年前、モントルーでのCHICのパフォーマンスに対し、クロウドはマイルズ・デイヴィス・ゴールド・メダル賞を僕にくれたんだ。(その時)彼は僕にこう言ったんだ、残りの(これからの)人生で僕がフェスでやりたい事を何でもやっていいよ、とね。去年、彼は彼のモントルー・ジャズ・フェスの中で僕自身のフェス(僕との共催イヴェント)を担当させてくれたんだ。クロウドへのトゥリビュートとして、そのフェスの名前は僕自身とボウイー最大のヒットからとるのが相応しい様に思われた。それで2012年の七月十三日に、僕は最初の「Freakout! Let's Dance」を行った。サブタイトルは ダンス・ミュージックの進化 とした。

音楽、ミュージシャンそしてクロウド・ノブズという名の素晴らしい人物と関われてきたことが今まで以上に誇らしいことは僕にはないよ。早く良くなってくれ、僕の親愛なる友 - そして僕等はハグし、笑って、「おしゃれフリーク」や「レッツ・ダンス」でブッ飛んで踊るんだ(Freakout! Let's Dance)。

 


VIDEO: Freakout! Montreux - ナイル・ロジャーズ共催によるイヴェント

 


七十年代のCHIC


ディープ・パープル


「レッツ・ダンス」の譜面(メロディ譜)


数年前、モントルーでのCHICのパフォーマンスに対し、クロウドは僕にマイルズ・デイヴィス・ゴールド・メダル賞をくれた


ボウイーはスティーヴィー・レイ・ヴォーンをモントルー・ジャズで初めて観た


去年、クロウドはモントルー・ジャズ・フェスの中で僕とのフェス(共催イヴェント)を担当させてくれた


クロウド、グレイス・ジョーンズがいつ到着するかを僕に伝えているところ


ジョニー・マー、マーク・ロンスンそして僕、ギターのアレインジ中


(左から)クロウド・ノブズ、僕、グレイス・ジョーンズ、パウロ(グレイスの息子)そしてフィーリックス・ダ・ハウスキャット、KO級だった素晴らしいショウの終演後


早く良くなってくれ我が友 - そして抱き合い笑い合い、そしてフリークアウト!レッツ・ダンスだ

 


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2013 Won't Be Boring!

January 4, 2013


ナイル・ロジャーズ & ダフト・パンク

去年は自分の快復を心掛けていた一方で何人かの仲間が世を去った一年だった。おそらく、そんな2012年を日本で終えるというのは詩的(訳註:「想像力をかきたてる」というニュアンス)だったのだろうね。僕にとって日本というのは数多くの思い出がある場所なんだ、幸せと悲しみの双方のだけれど、それらの思い出は僕の(日本を)訪れたいという気持ちをいつも強くさせてくれるんだ。日本は僕の長年のパートナーで非凡なベイシスト、バナード・エドワーズが1996年の四月に亡くなった場所だ。そして僕のバンド(CHIC)が2011年の四月に演奏をした場所でもある。地震、津波そして福島第一 -世界最悪の核による災害の一つ- という三重(さんじゅう)となった大災害の余波が残る中でね。

(そういった訳で)日本の四月というのはほろ苦い(ビタースウィート)のだけれど、人々は決まって(ビタースウィートの)スウィートな部分に目を向かせてくれるんだ。お祝い、パーティ、心からの本当の楽しい時間を僕と過ごすのが大好きな観衆を僕はいつも信じているんだ。みんな僕のレパートリーのどれをも歓迎し、僕のアーティスティックな気まぐれを満足させてくれるよ。

次に日本に戻ってくる時、僕は特別な何か(=別の曲)を演りたい。何故ってみんないつも僕を横に引き寄せ、片手で数える程の少ない人しか知らないだろうと思っていた曲をリクエストしてくるからなんだ。現在の低い比率のレコード売り上げでいうなら(ゴールド、プラチナ、ダイアモンド各ディスクの認定基準値は今の2倍だったんだ、僕がマルチ・プラチナを出していた全盛期の頃と比べるとね)、僕等の最後のスタジオ盤『CHIC-ism』は、1992年の四月におよそ四十万枚を売り上げたんだ。今の基準からすれば立派な数字さ。

僕が次に日本へ足を踏み入れる頃には、僕のダフト・パンクとのコラボレイション曲が人々の耳に届き始めていると思うよ。僕が選りすぐった何組かのアーティストと一緒にこれから数ヶ月の間で作業していく曲の数々と同じくね。そして勿論、遂に、僕の失われていた CHICとソロの作品もだ。どう終わる(どういう年になる)にしても、2013年は退屈にはならないよ!(2013 Won't Be Boring!)

 


おそらく、2012年を日本で終えるというのは詩的だったのだろう、僕は零時を回っても(新年になっても)ファンのTシャツにサインしていた


僕とナード(バナード)、『CHIC-ism』のプロモ・トゥアー中 - バナード・エドワーズは1996年の四月に日本で亡くなった


日本のTV番組「スッキリ!」に生出演する CHIC、2011年の四月、福島第一の余波の中で


日本のファンはスウィートな部分に目を向かせてくれる


お祝い、パーティ、本当の楽しい時間を過ごすのが好きな観衆を僕は信じている


CHICの音楽のファンは日増しに若くなっている


僕のあらゆるアーティスティックな気まぐれを満足させ、終演時、控え室へ向かう時の演奏さえも許してくれた


『CHIC-ism』は1992年の四月におよそ四十万枚売れた


次に日本へ足を踏み入れる頃には、ダフト・パンクとのコラボレイション曲が人々の耳に届き始めていると思う


発見された「失われたテープ」のいくつか(訳註:「レイダーズ/失われた聖櫃(Raiders of the Lost Ark)」にかけたか?)


これは CHICの2013年最初のショウの模様。日本で行われた


僕が監修したフェンダーのナイル・ロジャーズ・モデル「ヒットメイカー」ギターは2013年中に発売開始予定


2013年は退屈にはならない!

 


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Narita Int'l to JFK NYC

January 3, 2013


デルタ航空172便 - 成田国際空港発ニュー・ヨーク市JFK空港行き

まだ2013年の三日目だけど既に素晴らしい年になっているよ! 有難う日本! すぐに戻ってくるよ。さて、家へ帰ろう。成田発ニュー・ヨーク市JFK着の便で。

 

 


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Planet C - Top 15 of 2012

December 30, 2012


「惑星Cを行く」にとって2012年は素晴らしい年だった。ナイルの癌、音楽そして人生についてのブログの2012年のハイライトを振り返ってみると、僕等はとても誇らしく思えてくるよ。その大部分は僕等の感謝の念に溢れてるんだけどね。支えてくれた全員、週次の報告を読んでくれたみんな、そして毎日献身的に働いてくれたみんなに対してのね。

これが2012年のトップ15ブログです。ハッピー・ニュー・イヤー!

 

#1 "I'm Still Freaking Out" - September 23, 2012

六十歳の誕生日を、僕は古い友達の結婚式に出席する為にロンドンへ向かっていた機内で迎えた。僕の(六十歳という)記念碑的な誕生日に、誰も機上の僕と出会えなかったので、何人かの近しい友人たちがこんな大きな作業に乗ってくれたんだ。(訳註:embarkは「計画に乗る」と「飛行機に搭乗する」を掛けている)

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#2 "I Know That I'm Dying" - May 20, 2012

この数日間ほど眠って過ごした日々を僕は覚えていない。このところとても体調が悪く、(直後の)広域にわたる移動とコンサートにむけて力(気持ち)を整理しなければいけなかった。でもその休息をもってしても体調は増々悪化した。今日、空港から家への運転中に僕はかなり体調が悪くなり「死につつあるな(I Know That I'm Dying)」という思いを断ち切れなくなった。前向きに考えようとした - けれど「死につつあるな」という言葉が頭で繰り返された。

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#3 "Freakout! Montreux" - June 28, 2012

僕は一晩中起きて、来たる七月十三日にモントルー・ジャズ(・フェスティヴァル)で行う大規模なダンス・パーティのプランを詰めていた。これは CHIC の結成以来、僕が(中心になって)行うこの種の最初のイヴェントになる。「ダンス・ミュージックの進化」だと捉えているんだ。

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#4 "Madonna to Adam Lambert" - September 7, 2012

最近とても多くの友人知人の死が続いているんだ。それは僕に、(逆に)命という贈り物(生きていること)は全く何て尊いものなんだろうと思わせてくれるよ。何人かは予期せず突然亡くなり、あとのみんなは色んな病気との長期にわたる闘いの末に亡くなっている。よくこう言うよね、「あるドアが閉じると他のドアが開く」って - それは本当に僕の人生のパターンなんだ。

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#5 "Daft Punk is Hanging at My House" - February 7, 2012

今日僕は Daft Punk として知られている Thomas Bangalterと Guy-Manuel de Homem-Christoと一緒に過ごすんだ。僕達は以前出会ったと言えば出会ってるんだ、昔、九十年代にニュ・ーヨーク・シティで彼等がちょっとしたリスニング・パーティをやっている時にね。バタバタした状態だったから、芸術的繋がりを持つようなチャンスは無かったんけど、僕の前のパートナー、バナード・エドワーズの死に対してお悔やみは言ってくれたよ。おまけに彼らは CHICに惚れ込んでいてくれて。僕の(彼等に対する)思いも同じだ。

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#6 "Daft Punk Album - I'm Hyped" - August 10, 2012

この数日の間、僕はこの既に(この時点で)エキサイティングな一年の今後に関しての山ほどのミーティングを行ったよ。もうこれ以上興奮する事はないねと思っていたまさにその時、ダフト・アートのポール・ハーン(※)から僕に電話があったんだ。彼はニュー・ヨークにいた。僕もそうだ - 僕らはお互いの他のミーティングの合間に会おうという事になった。そしてグランド・セントラル駅にあるマイクル・ジョーダンが経営するレストランのバーで落ち合った。僕らはその大急ぎのミーティングの時間内で出来る限り多くの事について語り合ったよ。(※訳註:ダフト・アートはダフト・パンクのヴィジュアル部門)

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#7 "Trust the Process" - May 9, 2012

アダム・ランバートの新作『トレスパシング』がリークされた。みんなの多くは僕が 'Shady' という曲で演奏しているのをもう聞いてくれている事だろう。(でも)その経緯は知らないよね。これはアダムと(共演している)サム・スパロウがトウィッター(ツイッター)で僕にこのファンキーな曲で演奏してくれないかと頼んで来たのが始まりなんだ。

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#8 "Singing and Dancing My A$$ Off!" - January 20, 2012

昨日僕はアセラ・エクスプレス(訳註:米旅客鉄道公社「アムトラック」が運行する、ボストン - ニューヨーク - フィラデルフィア - ワシントンD.C.を結ぶ高速鉄道[特急列車]のこと)でペンシルヴェニア州フィラデルフィアにあるドゥレクセル大学に行ったんだ。いくつもの理由から訪れたんだけど、そこに居る間に彼等の音楽記録保管所に行ったんだ。

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#9 "I Guess We All F***'d Up?" - October 6, 2012

僕は体調が最悪という状態を脱しつつあるところだ、でも不満を言っているんじゃないよ。(文句をいう)代わりに自分に問いただしているのさ、「僕よりもいったい誰がうまく(最悪と)つきあっている?」とね。僕は数えられないほどの回数、死から逃れてきた。そして僕は今も(又もや)快方に向かっており、これまでにもまして仕事をしているよ。

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#10 "Declared Officially Dead" - December 1, 2012

最近僕は八十年代の僕のデモのいくつかに合わせて演奏しているんだ。昔のバンド仲間とジャムるのは興奮するね。僕はギターを弾くのが大好きで、残りの人生の間、毎日弾いていられるよ、ただ楽しむだけの為にね。

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#11 "When Death Comes Knocking" - September 4, 2012

夏は正式に(本格的に)終わりを告げ、いま我々アメリカ人は仕事に戻るところだ。(でも)今までの僕の人生のどの夏よりも僕はこの夏ハードに働いたよ - 各種イヴェント期間の書き込みをしてある以外、カレンダーは僕にとってあまり意味を持たなかったほどさ。僕の人生は終わりのない旅、迷路、トンネル、窓そしてドアを通る、しかもそのどの先にも何があるのかはわからない旅なんだ。

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#12 "My Favorite Daft Punk Records" - February 8, 2012

僕は朝早い電車に乗らなくてはならなかったんだ、というのも Daft Punk と一緒に許される限り目一杯時間を過ごしたかったからね。数年もの失われた時間と過去に会いそびれたチャンスとを穴埋めしなきゃならなかった。トーマスが言ったよ「ナイル、全てが完璧に折り合って僕らをこの瞬間に導いてくれたのさ」ってね。

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#13 "They Know the Song" - June 5, 2012

長年のパートナー、バナード・エドワーズは東京の日本武道館の売り切れ満席の観客を幕のこちら側からちらっと覗いた。「あれを見ろよ」舞台へあがる直前に僕に言ったんだ、「俺たちは(とうとう)やったんだ。みんなは俺たちを観に来たんじゃなくて、俺たちの(作った)音楽を聴きに来たんだよ」とね。それが彼との最後のコンサートになった。終演後、彼はホテルの部屋に戻り、ソファーの上で亡くなったんだ。彼のその言葉は予言的な意味で合っていたよ。僕らは自分たちがやろうとした事を達成したんだ。

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#14 "Walking on Planet C with The BBC" - September 15, 2012

この数日の間、僕は「惑星C」をBBCラジオの Paul McClean と「歩いて」いるんだ。僕の万屋アシスタントであるリッチ・ヒルトンも一緒にね。「惑星C」というのは癌にやられてからの僕の人生を表すのに自ら作った造語だ。歩くことは自分でコントロールできるセラピーのメイン部分なんだ。歩くことは身体にも心にも良いよね。全身のフィットネスを手助けしてくれるし、僕が自分自身を保つ為の、一日の中でとても平和なひとときでもある。ウォーキングの間、僕は決して音楽プレイヤーを携帯しないんだ、何故って音楽はいつも僕の頭の中で鳴っているからさ – それらの音楽は散歩中に遭遇する光景や音にインスパイアされて(選ばれて)いるよ。

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#15 "Feeling So Shady" - April 24, 2012

やぁ、みんな、Dだよ(IAmMisterD)。ナイルはロンドンに居て世界を乗っ取ってるところだ。で、僕はこのブログを乗っ取ってこれを君達と分かち合いたかったんだ(彼の気に触らなきゃいいんだけど!)。 みんなも知ってる通り、ナイルはアダム・ランバートの最新アルバムで仕事をしていて、彼等のコラボレイションである 'Shady' に対する期待は信じられないの一言さ!

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Donna Summer Remembered by Nile Rodgers

December 22, 2012


ドナ・サマー:「the real deal」(ザ・本物) 撮影:Fin Costello/Redferns

歌手ドナ・サマーは七十年代ディスコ・ムーヴメントの導灯だった、バンド CHIC のギターリスト、ナイル・ロジャーズと同様に

ドナ・サマーが誰なのかを知るより前、僕はガールフレンドとグリニッチ・ヴィレッジにあるナイトクラブに入った。そしてその時にかかっていた曲は 'Love to Love You Baby(愛の誘惑)' だった。あんな曲は聴いた事が無かったよ。まるでダンスフロアーで僕を誘惑しようと天使が耳元で囁いているみたいだった。翌日そのレコードを買ってきたんだけど、ただぶっ飛ばされたね。丁度この時は僕が CHICのコンセプトをまとめようとしていた時期で、もし、あのレコードが僕に多大な影響を与えなかったなんて言おうとするだけでも、僕は正直者ではなくなるね。

ドナは僕が言うところのソウル・シスター、同志だった。彼女は洗練されていて、彼女は趣味がよくて、彼女は美しくて、彼女は格好よくて、そして彼女は本当に歌えたんだ。彼女には独特の雰囲気があった・・・誇り高く自信を持って格好よく粋に自分を表す「スワガー」、まさしくそれだったよ。ドナと僕はおそらく尊敬と敬愛の範囲内でこれ以上は親しくなれないという程の間柄だったと思う。でも、僕らは一枚のレコードすら一緒に作らなかった、完璧な組み合わせだったはずだけどね。言ってみれば僕らはどちらも同じ鋳型から鋳られた者同士だった、なのにバナード・エドワーズと僕が最初に仕事をしたのはダイアナ・ロスだった、ドナ・サマーじゃなくてね。どうしてそうなったのか、僕にも判らないよ。

僕等はライヴで一度共演しただけだった。それはダイアナ・ロスの為のスペシャルTV番組だった。マライア・キャリー、ビヨンセ、そしてドナ・サマーが出演し、僕は音楽監督を務めた。YouTubeで観てみてよ、ドナが何をしたか:歌い倒したんだよ、言ってみれば、僕のスタイルの音楽をね。証拠を確認してください、裁判長、彼女は疑いの余地無く殺した(悩殺した)んです。

僕は我がままで奔放な人としてはドナを知らなかった。もし仮に彼女がそういう人間だったとしても、僕は彼女のそんな部分は一度も見た事が無い。信じてくれ、僕は渦中に居たんだぜ。ドナに会う時は毎回と言っていいほどとても上品なセッティングの中でだったよ。彼女はとても崇高で、自分の家族の事をとても大事にしていた。彼女には(芸能界とは)別の人生があったんだ。

(ドナ逝去の)ニュースを聞いた時はショックだった。もしかしたら衝撃がより大きかったのは彼女が病気だとは全く知らなかったからかもしれない。僕はスイスのモントルーでの大きなショウの最中(準備中)で、彼女が僕と一緒に歌ってくれたらと願っていたんだ。彼女のマネージャーでもある夫のブルースは僕に言った、「もし可能なら、ドナはきっと駆けつけるよ」とね。そしてそのまま彼女は逝ってしまった。信じられなかったよ。

僕はドナのことを、いつもきちんと巡って来ては明るく燃えて輝く宇宙の彗星の様に感じていたよ。彼女には一連の素晴らしいヒット・レコードの数々がある。'Love to Love You Baby' だけじゃないんだ、例えばアルバム "Four Seasons of Love" は信じられないほど良く組み上げられ、しっかり考え抜かれている。僕は歴史がドナを正しく適切な光の元に見てくれるのを期待している。だって彼女は正真正銘の本物、メガ・ミュージシャンだったんだから。その彗星はあまりにも早く燃え尽きてしまった。

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